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グロリア・スワンソン(女優)Gloria Swanson
1899.3.27−−

大人 grown up

「グロリア、あなたといると疲れてしまう!どうしてそんなに元気なの?」
 女優グレタ・ガルボは半ば呆れながら、グロリア・スワンソンを形容した。
 グロリア・スワンソンは一八九九年(一八九八年ともいわれる)三月 、シカゴに生まれた。父は軍人で、その性格を受け継いだのか、勝気な娘 として成長した。フロリダ、テキサス、プエルトリコなどを 転々とする少女時代を送った。
 十四歳のとき、叔母が当時シカゴにあった無声映画エッサネイ社のスクリ− ン・テストを受けさせた。その後、いくつかの映画に出演し、ハ リウッドに出て女優を目指した。
 すぐさまドタバタ喜劇の大御所マック・セネットのもとで、「水着美人 群」(ベ−ジング・ビュ−ティ−ズ)に出演した。水着でわいわい騒いでいる 美人たちの一人だった。
そして主演ウォ−レス・ビアリ−の相手役を三本つとめたが、彼との間に恋が 芽生えて一六年に結婚するものの、わずか三カ月たらずで離婚した。
 その前年の一九一七年に、トライアングル社に転じて個性的な役柄を演ずる ようになった。この演技を認めたのが、セシル・B・デミル監督だ。第一次世 界大戦後の世相を反映した社交界の女王にふさわしい女優を求めていたデミル はスワンソンにそれを求めたのである。
 一九一九年には『連理の枝』や『男性と女性』などのメロドラマのヒロイン をつとめた。
その年に、大富豪のハ−バ−ト・K・ソンボ−ンと再婚した。娘グロリアを もうけたものの、二三年には離婚した。当時は子もちのスタ−などいなかった が、グロリアは堂々と子どもがいることを公表した。それがかえって彼女の人 気を高めることにもなった。
 パラマウントに移籍してからは、『大陸に鳴る女』『舞姫ザザ』『蜂蜜』な ど名実ともにハリウッドの大スタ−として君臨するようになった。
 一九二六年ころには週給二万ドルというハリウッド一の高給取りになった。 年収は百二十五万ドル。食糧品店への支払いだけで、月千ドルという(太るの を恐れて厳格な菜食主義を守っていた)。私生活は豪奢をきわめていた。
 一九二五年の『ありし日のナポレオン』のロケでフランスに渡ったときなど は、まるで大名行列さながら、ホテルのワンフロア−をまるごと借り切った。 そのパリ旅行の間に、グロリアはアンリ・ド・ラ・ファレ−ズ侯爵と知り合っ て結婚。二人の生活は三十年まで続いた。
 一九二六年五月にグロリア・プロダクションという独立プロを起こし、ユナ イテッド・ア−ティスツと契約して、『五つの魂を持つ女』『港の女』に出演 した。この仕掛け人となったのが、ジョセフ(ジョ−)・ケネディ、のちに米 大統領となるジョン・F・ケネディの父親である。彼はハ−ヴァ−ド大を卒業 して、すでに銀行家として活躍していたが、映画を企業経営と考えて、ハリウ ッド進出をもくろんでいた。
 ジョ−は、グロリアの知っているどの銀行家にも似ていなかった。もっさり としたス−ツに、ネクタイの結び目さえもきちんと押し上げていなかった。ボスト ン訛りで、年令は四十歳になっているのに、まだ少年のような感じが残っていた。
 その彼がスタ−のグロリア・スワンソンに目をつけた。最初は戸惑ってい たグロリアも強引なジョ−のやり方に惹かれていった。
グロリアは夫アンリとジョ−をうまく操っていた。
 アンリがパリでの仕事をもつことになったことをきっかけに、二重生活が始ま った。
「このときから私は、はっきりと二つの生活を送ることになった。一つはアン リが海外にいるあいだロデオ・ドライヴでジョゼフ・ケネディと。この二つに 生活は可能なかぎり常に厳しく切り離された」  と『グロリア・スワンソン自伝』で書いている。
 ジョ−・ケネディのグロリアに対する情熱は尋常ではなかった。突然、ニュ −ヨ−クに呼び出されて、子どもたちを連れて出かけたこともある。また、ジ ョーはそれに対して、豪華な贈り物で答えた。
 それは、ハリウッド一の豪華なバンガロ−だった。それに比べたら、新聞王 ハ−ストがマリオン・デイヴィスに建てて、冗談半分にトリアノン宮と呼ばれ ているバンガロ−さえ見劣りしたほどだ。
 グランド・ピアノを備えた居間と完全設備の台所、衣装部屋、更衣室、特大 の寝室まであった。道路から入れる専用の入口とガレ−ジもついていた。グロ リアはジョ−に愛されているという幸福感にひたっていた。  そして、二八年に『クイ−ン・ケリ−』の撮影に入ったが、監督は”怪物” と異名を取るエリッヒ・フォン・シュトロハイムで、かたや”女王”のスワン ソン、衝突しないわけがなかった。八十万ドルを注ぎこんだまま撮影は中止に なった。
 すでにト−キ−の時代が押し寄せてきていた。二九年に『トレスパッサ−』 に出演、これは成功したが、『陽気な後家さん』『今宵ひととき』には、グロ リアはかつての勢いを失っていた。
 一九三一年に、アイルランドのスポ−ツマン、マイケル・ファ−マ−と結婚 し、二人の子ども(一人は養子)とともに、ヨ−ロッパを旅行した。イギリス で『完全なる誤解』(三四年)を撮り、帰国して『空飛ぶ音楽』(三五年)を 公開したが、人気の挽回はできなかった。
 マイケルとは二年半の結婚生活を送ったすえに、三四年に離婚した。そして 一九四五年には株式ブロ−カ−のウィリアム・デイヴィ−と五度目の結婚をし たが、これも一年間で終わってしまった。
 六番目の結婚相手は、ジャ−ナリストのウィリアム・ダフティ。グロリア、 八十二歳。ダフティは六十九歳である。
 一九四八年に、テレビの『グロリア・スワンソンン・アワ−』でみごとにカ ムバックした。これを見たビリ−・ワイルダ−監督が『サンセット大通り』に 登用したのだ。
 このスト−リ−は、かつての大女優、ノ−マ・デズモンドが執事(エリッヒ ・フォン・シュトロハイム)とともに大邸宅に住んでいる。人びとは、この邸 宅を幽霊屋敷と呼んでいる。かつての栄光のなかに生きる異様な女優の姿をグ ロリアは演じて喝采を浴びた。この演技で、グロリアは一九五〇年の主演女優 賞にノミネ−トされた(受賞は逃した)。
 ノ−マ・デズモンドのイメ−ジが強すぎてグロリアも落ちぶれた印象を与え るが、実際の彼女は実業家として成功していた。
 グロリアはマルティプライゼズなる発明特許会社、既製服のデザイン、旅行 会社などいくつかの事業を精力的に始めた。
 その一方で、映画やブロ−ドウェイなどにも出た。ブロ−ドウェイの舞台は、 酷い興行成績だった。
 グロリアが最後に出演した大作は、『エアポ−ト’七五』だった。ここでも、 グロリアは彼女らしい大女優が自伝を書く場面を演じている。  自伝のなかで、グロリアは「大人(グロンナップ)」という言葉を繰り 返し使っている。
 一九七九年、グロリアは日本を旅行した。 そのとき、あるお寺で小さな石像 を見つけて僧侶の説明を聞いた。
「この命は生まれる前に終わってしまったのです」
 僧侶の言葉にグロリアは涙を流し、手を合わせた。  グロリアの顔は慈愛に満ちていた。

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