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ジプシ−・ロ−ズ(ストリッパ−)Gypsy Rose Lee
1913..−−1970..

自立 self−support

 ジプシー・ローズ・リー−(本名ルイーズ・リー)は一九一三年シアトルに 生まれた。スター志望だった母は、その夢を娘二人に託した。ルイーズは妹と ともに、ボードヴィルやバーレスクの舞台に立つのだが、初舞台は六歳のとき だった。
 その舞台が逮捕されたストリッパーの代役だと知った幼い少女は泣きだした が、ストリッパーたちに勇気づけられた。たちまち、子どもながらに女性たち の気さくな人柄に魅せられた。
 芸名もジプシー・ロー−ズと名乗り、のちに彼女がストリップティーズの世 界に入るきっかけとなった。
 大物スターたちと一緒の興行のときには、いつも母はローズたち姉妹に、 彼らの演技を必ず観させた。なかには舞台の袖で、身をかがめて言葉や動き を覚えようとしているのを快く思わないスターたちもいた。
 しかし、ローズがファニー・ブライスと出会ったことで運命が変わった。フ ァニー・ブライスは今世紀初め、ニューヨークで活躍した女優である。歌も演 技も最高のコメディエンヌだった。
 ジプシーはファニ−・ブライスと共演することになった。「あなた、イブニ ングドレスもってきてるの?」
 ジプシーはそのとき、純毛の下着をつけていたので、ファニー・ブライスを 驚かせた。ブライスが貸してやったドレスは申し分ないほどぴったりと合った。
「これを履いて」
 ファニー・ブライスは金色の布製のハイヒールを手渡した。
 そのときの経験から、ロ−ズは「いつか私は本物の女優になるんだ」と思っ た。
 その後、スターになってからもローズは大きな舞台に立つよりも、仲間た ちと地方巡業をするほうが好きだった。彼女は贅沢な貂のコートを買ったかと 思うと、レストランから食器を盗んできたり、安ホテルの部屋で料理をしたり した。
 ジプシー・ローズは、ほとんどいつも息子のエリックを連れ、ストリップ劇 場を転々とまわって暮らした。
「ともかく母ひとり、子ひとりなんだからかまっちゃいられないわ」
 というのがジプシーの口癖だった。
 ジプシーが二番目の夫で、画廊経営者のウィリアム・カークランドと離婚し たのはエリックを妊娠中のときだった。
 ジプシーはいつも息子に、カークランドが父だと話していたし、週末には父 子はたいてい一緒に過ごした(だが、エリックはカークランドが本当の父だと は信じていなかったと後年語っている)。
 ジプシーが画家のフリオ・デ・ディエゴと結婚したとき、小学一年生だった エリックはクラスメートに、自分の名前はエリック・リー・ディエゴだと言っ ている。
 エリックは一九六一年の十七歳のときまで、本当の父親が誰であるのかは 知らなかった。ジプシーは一九五七年、四十二歳で、ようやくストリップを引 退、再び離婚してベヴァリーヒルズに移っていた。
 カークランドが実の父でないと告げたのはエリックの精神科医だった。カ− クランドが精神科医にもうお金は払わないと電話した後のことだ。
 エリックは母ジプシーがカリフォルニアからやってきたときに問い詰めた。 ジプシーも最初は本当のことを口にしなかった。
 結局、ジプシーは息子に父の名を告げたが絶対にその人とは会わないという 条件をつけた。父はオットー・プレミンジャー。彼は喧嘩早いが、当時ハリ ウッドで最高の映画監督の一人だった。
 ジプシ−が本当に愛していたのはオット−ではなくて、映画プロデューサー のビリー・ローズ。
 ところが、彼は彼女のもとを去った。そこで彼女は誰にも奪えないものを手 に入れようと決心する。それが子どもだった。
 子どもを作るために、オットー・プレミンジャーと関係をもった。ハリウッ ドにいる才能のある男たちのなかから彼を選んだのだ。外見ではなくて、尊敬 に足る人物だと考えたからだ。
 ジプシ−はオットー・プレミンジャーには、自分の本心を明かさなかった。
 プレミンジャ−によれば、二人の関係は一九三四年から四四年にかけての一 時期で、数週間だけだった。その後ジプシーはカリフォルニアを離れて、ニュ ーヨークに行った。
 プレミンジャーは病院に見舞いに行って声をかけた。
「大丈夫かい?」
「ええ、今朝、私たちの子どもが生まれたわ」
 プレミンジャ−は養育費の援助を申し出たが、ジプシーは断った。
「その必要はないの」
 のちにプレミンジャーは言っている。
「ジプシーは子どもがほしかった。彼女は自立したとても頭のいい女性だよ」
 プレミンジャーはエリックは知らないと思っていたが、息子は母から事情 を知らされていた。一九六六年に、ジプシ−の了解を得て、父子は顔を合わせ た。
 エリックはそのとき、二十二歳で陸軍にいてドイツに駐屯していた。パリの ホテルで、六十歳の映画監督と会った。
「エリックは友だちみたいだった」
 プレミンジャーは言った。  二人は酒を飲んでから緊張がほぐれた。
 プレミンジャーは二人が親子であることが、とても感慨深げだった。
 エリックは兵役を終えたあと、プレミンジャーの映画プロダクションに、配 役担当責任者兼シナリオ・チェック係として入った。
 二人はジプシーの意向でその後も関係を公けにはしなかった。
 ジプシーは昼のテレビトークショーの司会をしていたので、視聴者である主 婦の反感を買うのを恐れていたのだ。
 一九七〇年、ジプシーが肺がんで亡くなった翌年に、プレミンジャーはエリ ックが自分の息子であることを公表して養子にした。
 ジプシーは生涯に三度結婚している。最初はボブ・ミジーという歯科の技 工士、二度目は俳優のウィリアム・カ−クランド(のちに彼は画廊経営者にな った)。最後はフォリオ・デ・ディエゴというスペイン人の画家だった。
 結婚相手以外にも、ジプシーにはそうそうたる恋の相手がいた。
 エリザベス・テイラーとも結婚したこともある名物プロデューサーのマイク ・トッドもその一人。
 多くの男たちと付き合ってきたが、いつも彼女は自立していた。
 身長百八十センチの大柄な彼女は、生き方も堂々としていた。その反面で、 古着を買ってきて衣装を作ったりする女性らしい一面もあった。
「私は二十年前にもっていたものを、何ひとつ失っていないわ。ただ位置が下 にずれてきただけ」
 ”ジプシー・ロー−ズ”の名は日本でも広く知られ彼女の名をつけたストリ ッパーが登場してスターになった。

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