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リタ・ヘイワ−ス(女優)Rita Hayworth
1918.10.17−−1987.5.14

逃避行 elopement

 リタ・ヘイワースの写真は広島に落とさた最初の爆弾に貼られていた。当 時、最も人気のある女優だった。
 強烈なエロティシズムを発揮して男たちを魅了した女優リタ・ヘイワースは ニューヨークのブルックリンに生まれた。父エドゥアルドはスペイン生まれの ダンサーで、母ヴォルガもジークフェルド・フォーリ−ズで踊っていた。
 本名はマルガリータ・キャンシノ・ヘイワース。彼女の母親の家族はハワー スで、”y”をつけてヘイワースとした。十二歳のときに父の出演していたダ ンスクラブで、スパニッシュ・ダンスを踊ったのがダンサーとしての出発だっ た。少女時代からメキシコやルイジアナ州のクラブでステップを踏んだ。
 映画界入りを望んでいたところ、フォックス社に認められて、三五年にリタ ・キャンシノの芸名でデビューをした(『ダンテの地獄篇』)端役で数本、映 画出演するうちにスターの素質を認められる。
 一九三六年、『マモナ』にギルバート・ローランドの相手役として初の主役 が与えられることになった。ところが、フォックス社が二十世紀社と合併する 騒ぎで、二人とも主演を降ろされ、ロレッタ・ヤングとドン・アメチに代えら れ、同年に出演した『ガルシアの伝令』を最後に解雇された。
 その年、彼女はコロムビアに入り『完全犯罪』を第一作にB級映画の脇役で 再出発することになった。
 翌、一九三七年、実業家のエドワード・ジャドソンと結婚をし、芸名をリタ ・ヘイワースに改名した。
 まず、『麗人野球団』に主役の一人として抜擢された。一九三九年には、ハ ワード・ホークス監督の航空映画の大作『コンドル』に準主役で出演して人気 が急上昇した。
 つづく『いちごブロンド』では主演し、ジェームズ・ギャグニーの憧れの君 に扮した。やや赤みががったストロベリ−(いちご)・ブロンドで、上品そう に見えて、実は大変なじゃじゃ馬の娘をコミカルに演じた。ダンスも達者で、 ギャグニーをリードしたほどだ。この年はさらにフレッド・アステアと新コン ビを組み『踊る結婚式』では、華麗なダンスを披露した。この映画で、「明日 のスター」第二位に選ばれている。
 しかし、リタが本領を発揮するのは、『血と砂』でのタイロン・パワーとの 共演。この作品で演じた、若き闘牛士をメロメロにする悪女役で人気が沸騰し たのだ。
 一流写真誌『ライフ』に、リタのセクシーなネグリジェ姿が表紙に載り、話 題をさらった。
 一九四六年のチャールズ・ヴィター監督との『ギルダ』では、強烈なエロテ ィシズムを発揮して、ハリウッドの「セックス・シンボル」と呼ばれるように なった。ヘイワースのエロティシズムの演技は、『ギルダ』でピークに達した。 グレン・フォード扮する流れ者を虜にし、歌いながら長手袋を脱ぎ捨てるとい うストリップティーズのために、検閲にひかかった。
「私の知っている男の人は誰でもギルダに恋をする、嫌になってしまうわ」  私生活でも、派手なところを見せた。最初の夫ジャドソンとは四三年離婚、 同じ年に天才俳優オーソン・ウエルズと再婚したため、リタは注目された。一 女をもうけたが、四七年には離婚している。
 一九四八年、リタは世界で一番収入のある女優だった。彼女の名前が出てい る映画は儲かることが保証された。彼女と対等に魅力を競える女優は、MG Mのラナ・ターナー、二十世紀フォックスのベティ・グレイブルの二人だけだ った。エヴァ・ガードナーは勢いにのっていたが、まだ主流ではなく、マリリ ン・モンロ−の名前を知るものはまだ誰もいなかった。リタはまちがいなく一 九四〇年代の女神だった。
 そのリタ・ヘイワ−スの名前が世界中に轟いたのは、一九四九年ヴィクター 監督、フォ−ドとのトリオで悪女のヒロイン『カルメン』に出演したあとのこ とだ。プレイボ−イとして世界的に有名なインドの王子、アリ・カーンとヨー ロッパに恋の逃避行で有名になったのである。
 アリ・カーンは本来、インドのアガ・カーン三世で、一九四八年にリタ・と 出会うまでは、ジョーンと離婚話をもちだしたりはしなかった。
 周囲を圧倒するような魅力をもつリタは、そのときリヴィエラで休暇を楽し んでいた。アリのライバルには、やはりリヴィエラで休暇を過ごしながら、そ れぞれに彼女を口説く策を練っていたイランの皇帝(シャー)やハリウッドの 大物たちがいた。
 リタ争奪戦にはアリに軍配があがる。彼女が冷たい夫、オーソン・ウエルズ のことを忘れてしまうようにと、アリはパリ、ロンドン、マドリードへ、リタ を連れて行き、なんとか気を紛らわせようと懸命になった。リタはプライバシ ーを求め、殺人的なハリウッドのスケジュールから逃げ出したいと思ってアリ と結婚した。
 そのとき、リタは三十歳、アリは三十八歳だった。二人の結婚生活は幸福 そのもののように思われたが、待っていたのはひどい失望だけだった。リタに よれば、アリは群衆とでも言えそうなほどの大人数に囲まれていないと、淋し くいられないのだった。
 リタは二人の間に生まれた娘ヤスミンを連れて、アメリカに帰った。自分の ほうからアリを捨てた女性はリタが最初だった。二人は一九五一年に離婚 した。
 一九五二年には、『醜聞殺人事件』でカムバック。翌、五三年にはウィリア ム・ディ−タ−レ監督の『情炎の女サロメ』で悪女を演じた。『雨に濡れた欲 情』(これはジョーン・クロフォ−ドの『雨』の再映画化)でヒロインの娼婦 を演じた。これを境に彼女の人気は下降線をたどった。
 私生活ではその年、歌手のディック・ヘイムズと四度目の結婚をした。しか し、ディックは先妻との離婚と養育費で一文無しだった。一九五五年に離婚 したが、その間の三年間リタは映画を離れた。
 一九五八年『ヴェラクルス』のバ−ト・ランカスタ−のプロダクションの出 資者であるプロデュ−サ−のジェ−ムズ・ヒルと五度目の結婚。これも三年し かもたず、六一年には離婚した。
 しかし、リタはとても思いやりがある女性だった。
「私が会った人を傷つけるのは、やめてちょうだい。私は怒りもしないし、非 難もしないわ。私は間違いを犯した、でも彼らから恩恵を被ってきたのですか ら」  一九六二年、リタは俳優で恋人のゲイリー・メリルのアジアでの撮影に同 行し、日本にも立ち寄った。
 ある日、富士山の近くでゴルフをすることになった。旅行の間、ゴルフ好き な恋人につきあってゴルフコースをまわった。
 しかし、リタにはゆっくりとゴルフを楽しむことができなかった。小さなか らだをした日本人の女性キャディが重いゴルフバッグをもって、馬車のように 引いている。キャディが押しつぶされてしまいはしないかと心配でならなかっ たのである。
 リタと恋人は大都市を避けて、地方をドライブした。偶然訪れた京都の小さ なお寺や鄙びた神社を見て感動したのである。
 男を破壊へと導く妖婦のイメージしかないリタの素顔だった。
 晩年のリタは恵まれていなかった。酒に溺れる日々が続いた。彼女の面倒を 看たのはアリ・カーンとの間にできた次女のヤスミンである。
 一九八七年五月十四日、アルツハイマーの末に六十九歳で亡くなった。

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