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フランソワ−ズ・サガン(作家)
1935.6.21−−2004.09.24

寵児 enfant terrible

「ものうさと甘さがつきまとって離れないこの見知らぬ感情に、悲しみという 重々しい、りっぱな名をつけようか、私は迷う。」(『悲しみよ こんにちわ 』)
 これが若いフランスの作家の内面をみごとに表現した小説の書き出しである。
 一九五二年、パリ大学文学部(ソルボンヌ大学)に入学したが、進級試験に 落ちた少女が小説を書きあげた。その作品は大ベストセラーとなり、いちやく フランス文壇の寵児になった。
 処女作『悲しみよ こんにちは』は、父親を愛している娘が、父親の愛を独 占したいという気持ちや、大人の分別くささに対する反抗の感情から、父親と 恋人との結婚を邪魔しようとする微妙な心の揺れを描いている。
 出版後一年で、フランスだけでも百万部を越える大ストセラーなった。
 その後、日本など二十五カ国以上で翻訳された。ハリウッドで作られた映画 も評判になり、十八歳の少女サガンが、フランスばかりでなく、世界中で注目 された。
 出版社のジュリヤール書店に届けた原稿の表紙に、一九三五年六月二十一日 生まれ、と誕生日の日付がさりげなく書いてあったが、サガン自身も十八歳と いう「年齢」も売ろうとしていたのである。出版者のルネ・ジュリヤールは、 この小説を送り出すにあたって「若い娘の小説」を前面的に出す作戦を立てた。
 初版部数は三千部で、控え目なスタートだったが、部数が加速したのは最初 に出たいくつかの賞賛の批評と猛反対のせいだった。出版元のルネ・ジュリヤ ールはどういう種類の小説であるかをいっさい触れないでおいた。もっぱら、 その部分は批評家の判断に委ねるような形をとったのである。これはある種の 賭けだったが、彼の目論見はみごとに的中したのだ。
 この小説で、フランワーズ・クワレーズという本名の少女が、いちやくスタ ーにのしあがったのである。社会的な現象にまでなったが、むしろサガンはこ の騒ぎの大渦のなかに自分のほうから飛びこんでいった。
 小説の登場人物たちと同じように、サガンは華やかなパーティを好み、洒落 た車を乗りまわしし、賭事に酔ったりした。彼女の人生は、作中人物の華やか さがそのまま反映されているのではという世間の期待に応えるかのように。サ ガン自身が「サガン現象」の主人公となっていた。
 フランソワーズ・サガンは、一九三五年六月に、フランスのドルドーニュ地 方ロット県カルジャックに生まれた。四五年に疎開先のリヨンからパリに戻り、 ルイーズ・ド・ベティニ女学院に編入したが、「熱心な信仰心に欠けている」 との理由から四年後に退学処分された。
『悲しみよ こんにちは』の二年後に発表された『ある微笑』は、孤独と倦怠 の気分をもてあましている二十歳の娘が二十歳も年上の中年男性と恋に落ちて 夏のカンヌで優雅な休暇を過ごす話を中心に構成されている。
 一九五七年に『一年ののち』を発表したが、この年、愛車アストン・マーチ ンで転落事故を起こし、九死に一生をえている。
「サガン即死」とニュースが流れたほどの瀕死の事故だった。
 車への情熱は八歳から。
「父の膝の上で、巨大な黒いハンドルを両手いっぱいに握りしめて運転してい た自分を思い出します。それときから私は車が大好きです」
 車そのものも好きだが、車が与えてくれる楽しさが好き。
 スピードのどんなところに惹かれるのだろうか? 「スピード好きは死とたわむれる趣味が少しある、という理論にですよ! 生 を愛する人は、その反対である死にも惹かれます。スピ−ドへの情熱には、宙 返りや賭け事への情熱が含まれています。情熱的恋愛にも少し似ています。全 エネルギーを投入し、自分の情熱の完全な虜になっている人のようなものです 」
 一九五八年に、サガンは二十歳年上のギイ・シェレ−ルと結婚。ルーレット で8に賭けて八百万フランを当て、ノルマンディの別荘を購入した。
 一九五九年、『ブラームスはお好き』と初めての戯曲『スウェーデンの城』 を発表する。
 翌年の六〇年には、ギイ・シェレールと離婚している。
 一九六一年に『すばらしい雲』を発表。
 一九六三年にアメリカ人のボブ・ウェストフと再婚、息子ドニをもうけた。 六五年には『熱い恋』を発表する。同じ年、ウェストフと離婚するが、その後 も七年ほど一緒に暮らした。
 その後、『優しい関係』『冷たい水の中の小さな太陽』『心の青あざ』『失 われた横顔』など次々と話題作を発表した。
 サガンはインタビュー(『愛という名の孤独』)で、お金、人生、あるい はギャンブルなどについて語っている。
「お金はとてもいい従僕ですが、悪の主人にもなりえる、と私はつねづね思っ ています」
 お金は手段ではあるが、目的ではない、とサガンは言う。
 また、サガンが幼かったころ、食事のときにお金、財産、健康、人の品行を 話題にするのは禁止されていたが、今日ではその話題がほとんどになってしま った。
 サガンは賭事が好きだった。はじめてカジノに足を入れたのは二十一歳の誕 生日のときだ。
「賭博に私が引かれるのは、参加者が意地悪でもなく、ケチでもないからです。 ですからお金は本来の正しい役割を果たします。お金は流通します」
 浪費家だといわれたサガンはお金を稼いだが、計算もしないで使った。
「一つの小説の最初の五十ペ−ジを、十一回も書き直したこともあります」
 というサガンはなぜ書くのかと問われてこう答えている。
「ただ好きだから書いているのです。それは悪徳であり、美徳でもあります。 理解できないような美徳、しかも楽しみに変わっていく美徳です」
 さらにサガンはこうも述べている。
「いずれにしても、すでに知っていることしか創造できないと私は思っていま す。知っていることを言葉にすることによって、想像もしなかったことが明ら かになることがあります」
 書くことは、死とか後世に名を残そうということとは関係がない、とサガン は考える。
 田舎で生まれ、育ったサガンは戦時中も田舎で過ごしたため、田舎にいると とても快適な気分になる。
 サガンの執筆時間は夜中。落ち着いて仕事のできる唯一の時間である。
「夜、パリで仕事をしていると、田舎にいるみたいです。絶好の時間です」  夜中の十二時から朝の六時までを仕事に当てる。田舎にいるときは、散歩を した後の午後が執筆時間になる。
 一九七七年には、最初の短編集『絹の瞳』(七五年)を自らが監督した映画 が封切られた。翌年の七八年夏に、来日して、日本の休暇を楽しんだ。
 その後も『赤いワインに涙が・・・』『ボルジア家の黄金の血』『厚化粧の 女』『愛をさがして』『逃げ道』など旺盛な創作活動は変わらない。
 三回も九死に一生を得た彼女はいま”がん”という病いと向きあっている。
『悲しみよ こんにちは』から四十年を経た現在も、男と女、生と死、愛と孤 独、ときには社会への鋭い批判を描き続ける。
「書きたいことを書く、それだけ」とサガンは語っている。

2004年9月24日死亡
69歳

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