新ボストンに友情あり
3.新星ヴァイオリニストの奏でる美しい音色
私は、ボストンに住んでいたころ、アンドリュー・コウジ・テイラーのCDを繰り返し聞いていた。1日に何度、繰り返し聞いたことだろう?
アンドリューのヴァイオリンとアルフレッド・ジェノヴェーズのオーボエ。
曲目はバッハの「オーボエとヴァイオリンのための協奏曲ハ短調BWV1060」
モーツァルトの「ヴァイオリン協奏曲第3番ト長調K216」
アンドリューの澄んだヴァイオリンの音色に、幸せな気分になれたのだ。
ひとりのボストン生活は、私にとってさまざまなストレスと孤独感との戦いでもあった。それを慰め、勇気づけてくれたのが、アンドリューの音楽だった。
ボストンに住む、友人からプレゼントされた1枚のCDが、こんなにも私の心を慰めてくれるとは思いもよらなかった。
私が、若いヴァイオリニストのコンサートに行くことになるのは、それから3年後のことだった。
ステージで聞くと、いっそうスケールが大きく、感動的だった。
アンドリューに、実際に会うことができたのは、さらに1年後のことである。
舞台から降りたアンドリューは、28歳の人あたりのいい好青年だ。
ジーンズ姿の彼は、笑顔で挨拶した。
「こんにちわ]
日本語で話していいのか、英語のほうがいいのかまよう。
コウジというミドル・ネームがあるように、彼には日本人の血が混じっている。
1971年ボストン生まれ。
「ええ、母は、日本人のヴァイオリニストです。日本語も話せますが、やはり、英語のほうがいいですね」
彼の音楽と同じように、さわやかなインタビューだった。
音楽を勉強するために、ボストンにきたアンドリューの母は、ヴァイオリン・ショップを営んでいたアメリカ人のテイラー氏と出会い、のちに結婚。
アンドリューが13歳のときに、離婚。
「そのころ、母はあまり英語がうまく話せなかったし、父と文化の違いが出てきたんでしょうね。子どもを育てることでも、考え方の違いがずいぶんとあったようです」
アンドリューが生まれたころには、母はヴァイオリンの先生をしていた。
アンドリューがヴァイオリンの練習を始めたのは、4歳のときから。母の友人でもある潮田益子氏のもとで練習を始めた。
「母はヴァイオリンだけでなく、ぼくにいろんなことをしてもらいたがっていました。ですから、スポーツはなんでも、とくにボストンでさかんなアイスホッケーなどが得意でしたね」
ボストンのブルックラインで育った彼は音楽もスポーツも得意な快活な少年だった。
このあたりは、ジョン・F・ケネディの生家がある住宅地として知られる。
(その後、テイラー家はウエスト・ロックスベリーに移った)。
「小さいころのぼくはとっても、いい子だったみたい。みんなそういう。泣いたり、わめいたりをあまりしない子どもだった。だから、大人になってから、その分、悪くなったんだって」
おもわぬ、オチがついたために私は笑ってしまった。
8歳から7、8年間は、週に数日、ボストンにきて教えていたジュリアード音楽院の名物教授、ドロシー・ディレイにも師事している(五島みどりの先生でもある)。日常生活のなかに、音楽があった。
「音楽をエンジョイしていたと思いましたが、クラシックだけに興味があったわけではありません。エレキギターを演奏したり、ポップス、ジャズ、ロック、作曲にも興味をもっていました」
14、15歳のころになると、学校が嫌いになっていた。
「レイジー(怠け者)だったんです。学校やレッスンをよくさぼりました」
もっとも、多感な少年期、そのころ、両親が離婚して精神的に不安定な時期でもあった。ヴァイオリニストになると決めるまでには、まだ、少し時間がかかった。
「そのころは、ブルックラインに住んでいたのですが、ぼくのもっとも暗い時期だったと思います。どの学校に行くべきか、ずいぶんと迷いました」
ブルックライン高校にかよったり、いろんな高校で学んだ時期だ。ロックンロールにロングヘアー。そのころの高校生がいたずらでするように、ドラッグを試したこともある。
「ヴァイオリンをすることに、罪悪感を感じたこともありました」
小さいころは、1日に5、6時間の練習をしていたのが、そのころは1時間ぐらいだった。ちょっとしたサヴァティカルみたいなものです」
このサヴァティカル(休暇)が、アンドリューにとって、のちにとても有意義であることを証明するのである。
「母も、混乱していたころなので、どう対処していいかわからなかったと思います。益子先生のアドバイスもあって、ともかく音楽学校に1年間行って、そのあと、普通の大学にでも行けばいいと考えるようになりました」
音楽学校に行くようになったアンドリューは、一変した。音楽にのめりこむようになったのだ。
「16、7歳のころだと思います。ヴァイオリニストになろうと決めました」
それからすべてが始まるようになる。
モーツァルト、ベートーヴェンなどの大作曲家だけでなくて、ジョン・ケージ、スティーヴン・ライクなどの音楽家が彼の心を捕らえたのだった。
1989年、ハーヴァード・アソシエイション・コンクール入賞で注目される。
1990年、19歳のとき、アカデミア・ミュージカル・キジアーナから奨学金を受けて、イタリアのシエナ音楽祭に参加。
このころから、各地で本格的な演奏活動を始めるようになった。
「ヴァイオリニストとしてというよりも、ミュージシャンになりたいと思うようになりました。共通の時間をもてるようになりたいと思ったのです」
その後のアンドリューの活躍は、めざましい。
1992年には、東京・カザルスホールでデビュー・リサイタル。ベルリンでも研鑚を積んだ。
1995年には、ニューイングランド音楽院を首席で卒業した。
うれしいことに、アンドリューの音楽は、毎年日本で聞くことができる。
アンドリューの内面には、日本人的な部分とアメリカ人の部分が混じっている。
「両方が好きですね」
音楽はまさに、その人をあらわしている。
アンドリューは、日本とアメリカのすばらしい面を伝えてくれるにちがいない。
1727年製のストラディヴァリウスを弾く。
「まったくちがいますね。とってもすばらしい音色です」
ステージのときのように、緊張した表情に戻った。
「ボストンは、世界中で、もっとも、うつくしい町ですね。特に、秋が好きです」
インタビューの翌日、私はアンドリューも好きだというベーグル(ホイップクリーム入り)をほおばりながら、彼の音楽を聞いた。
アンドリューの音楽は、さわやかな朝を運んでくれた。
アンドリュー・コウジ・テイラーのCD
「ヴァイオリオン協奏曲集」WPCS-5920
「プロコフィエフ/ヴァイオリン・ソナタ第2番」 WPCS-5662
















