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聖林百話

38.哀愁をおびた大女優の最期

 名作『風と共に去りぬ』で、ヒロインを演じたヴィヴィアン・リーは、映画そのままに波乱に富んだ生涯を送った。
 1913年11月、イギリス人の父とフランス人の母の間にインドのダージリンで生まれた。幼いころから、演劇の道を歩んだ。
 35年、ローレンス・オリヴィエと『無敵艦隊』で共演したリーは、「私はあの人と結婚することになるわ」といって周囲を驚かせた。
 すでに夫も子どももいたが。彼女はオリヴィエのあとを追ってアメリカに飛んだ。そのとき、ヒロイン不在のまま撮影が進行していた『風と共に去りぬ』の製作者のデヴィッド・セルズニックに紹介された。
 「あなたのスカーレット・オハラでございます」とリーは挨拶した。すらりとしたからだに目のさめるような白い肌。美しい曲線を描いた顎。タマゴ型の顔。灰色がかったみどりいろの瞳がモジリアニの彫刻を思わせた。
 セルズニックはスカーレット役をリーに決めた。
 『風と共に去りぬ』は、39年のアカデミー主演女優賞を獲得。
 スカーレットの激しい生き方と実際のリーとが重なって見えた。
 夫との離婚、最愛のオリヴィエとの結婚を果たした40年、リーはまったく違った役柄を演じた。
 『哀愁』のリーは、薄幸の踊り子マイラに扮する。ロンドンのウォータールー橋。第一次大戦の空襲警報下で会った大尉との悲恋に泣くヒロインである。
 戦死したと思いこんでいた恋人は、生きていた。恋人と再会して、結婚することになるのだが、彼女は娼婦に身をやつしていた過去を隠しきれなかった…。
 恋人が戦地に発つ別れの場面で、流れる音楽『オールド・ロング・シンス』(「懐かしい昔」の意。『蛍の光』はこの曲のメロディーを借りたもの)が感傷的な気持ちをいっそうかきたてた。
 リーは『欲望という名の電車』で、2度目のアカデミー賞を受賞する。だが、精神的にも肉体的にもリーは疲れきっていた。
 オリヴィエが共演相手と恋愛事件を起こしたことが引き金となって、2人は60年に離婚。
 失意のリーは、不可解な言動を起こした。町であった相手と親しくなり娼婦のような生活を送った。
 発作を起こすと彼女は指を曲げ、猫のように目を異様に光らせながら、「ウォー」と奇声をあげた。
 ストレスのため、過食症いおちいったこともある。
 極度の潔癖症の彼女は、白い手袋を何ダースももっていた。手が大きいことを気にしていた。(ハリウッド・チャイニーズ劇場前の名物にリーの手形がないのはそのため)。
 「私は、映画スターではありません。女優です。スターはうわべだけで、偽りの価値を宣伝のために生きているのです」(『ヴィヴィアン・リー』アン・エドワード著)  本物の舞台女優になることが彼女の人生の目標だった。オリヴィエがシェイクスピア俳優であることに、尊敬と羨望の念を抱き続けていた。
 「彼はどんどん名優になっていくのに、私だけ落ちこぼれている」
 『風と共に去りぬ』は、彼女を有名にしたが、役者としてシェイクスピアのクレオパトラに比べたら、スカーレットはあまり意味がない、と彼女は考えていた。
 リーはハリウッドの商業主義を嫌っていた。だが、彼女の名声はハリウッドから得たものだった。
 67年7月9日、ロンドンのアパートで看取る人もなく、肺結核とアルコール中毒のため53歳の生涯を閉じた。
 彼女の枕許には、ロミオに扮したオリヴィエの写真とシャクヤクの花が飾られた。
 「さそり座の人間は、私のように自分を食べつくし、燃やしつくすのです」
 また、アルゼンチンのエヴァ・ペロンの生涯を演じる話があったとき、リーはこう嘆いた。
 「あの人は運がいい。32歳で死んだのよ」
サンケイスポーツ 99.8.23

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