Today's Eye バックナンバー


耳にちいさな綿をつめて、新聞を見ないこと。

ルイーザ・アダムズ
米国第6代大統領夫人。夫を扱う術に長けていたことで知られる。
<2008年5月>
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運動はしないわ。屈伸運動することが神さまのご意志なら、地面にダイヤモンドを置いてくれているはずよ。

ジョアン・リバース
コメディエンヌ
<2008年5月>
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わたしの写真のことが話題になっていますが、わたしのお尻についておしゃべりしている間は、だれも殺し合ったりしないでしょ。


ヨーコ・オノ
臀部を大胆に露出した作品に関して
<2008年4月>
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人生は永遠につづくものと思って勉強しなさい。
明日死ぬものと思って生きなさい。

マリア・ミッチェル
天文学者
<2008年4月>
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新鮮な酸素を一杯、取り込んでるの

カトリーヌ・ドヌーヴ
女優。若さの秘訣を問われて。
<2008年4月>
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いままでダイエットのコツを秘密にしてきたけれど、教えてあげましょう。グレープフルーツをたくさん食べるの。それから若くて元気な男の子もたくさん。

アンジー・ディキンソン
驚くほどスタイルの良い女優
<2008年3月>
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わたしにとっては、メイクをしていないときよりも、しているときのほうが裸に近いわ。

ブルック・シールズ
子役からショービジネスに生きている女優
<2008年3月>
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上品すぎるのは品がない

エルジー・デ・ウォルフ
インテリア・デコレーターという職業の先駆者
<2008年3月>
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十二月 夜の火の月
 苦しみからこそ、わたしたちがこれまで気にもかけなかった人々、群衆の中にいるわたしたちが目を合わせることのできない人々に対する思いやりが生まれる。 苦しみからこそ、これまで見過ごしていたものの価値を理解する心が生まれる。日没、夜明け、蝶、壁に映る影の繊細な動き。長く続くものなどあろうか?(「今日という日は贈りもの」 )
<2005年12月>
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十一月 トウモロコシを蓄える月
 太陽は空で日増しに低くなる。大地はシカ皮色になり眠りについた。わたしは墓地に行ってわたしの祖先たちと話をしてきた。 (中略)わたしはひとりだ、でもひとりではない。もし神が存在するならば、それは毎瞬間、わたしを通り抜け、畏怖と注意深さ、 理解力と創造力でわたしを満たしてくれる霊だ。(「今日という日は贈りもの」ナンシー・ウッド))
<2005年11月>
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十月に月が通るのは尊敬という道。

 わたしたちにとって新しい年は一月からでなく、いまはじまる。この時期、種子は冬眠し、鳥は越冬のために南ヘ飛ぶ。葉が落ち始める。
そして空では太陽が蒼ざめる。十月は蓄える月であり、古い名前を思い出す月だ。来るべき冬に備えて準備が始まる。
(「今日という日は贈りもの」ナンシー・ウッド。拙訳)
<2005年10月>
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アメリカから一時帰国している若い友人のIクンと会った。ほぼ1年半ぶりである。 Iクンはこの10月からアメリカの大手監査法人に就職する。会食をしながら、私は嬉しくなった。「おいしいですね」。 秋刀魚をほうばりながら感想をのべ、ビールの御代わりをもってきてくれたお店の人には「ありがとうございます」。 食事が終わったあとは「ごちそうさまでした」。私はとてもいい気分で外に出た。 雷・台風一過の東京の外気が心地よかった。当たり前のことをごく自然に言えるってとてもいいことだ。 私は元気をもらった。ありがとう!
<2004年09月06日>
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「人生はクローズアップで見ると悲劇だが、ロングショットでは喜劇である」俳優チャーリー・チャップリン。あの坂、この坂。 しんどいね。どうして人生は思い通りにならないんだろう。人は迷いながら歩んでいく。それも過ぎてしまえば、いい思い出になる。人はこの思い出のために生 きているのかもしれない。さあ、今日1日を精一杯に生きよう。名優の一言は生きる勇気を与えてくれる。
<2004年02月08日>
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新年あけましておめでとうございます。
プロデューサーの残間里江子さんが「大人から幸せになろう」と提言されています。大人たちの気持ちのありよう、誇りをもって生きることが求められています。 笑顔を絶やさないで、生き抜くこと。毎日を輝いていたい。私も一つの作品に力をこめて納得のいく仕事をしていくつもりです。志高く
<2004年01月01日>
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青山学院大学のキャンパスのクリスマスツリーが点火された。
夜になると、街のいたるところで、赤・青・黄色・・・さまざまなクリスマスツリーのネオンが点滅している。だが、このキャンパスのツリーは点滅はしない。 シンプルだが、確かな光を放っている。このツリーを見ていると、ぼくは心が落ち着いてくる。どこかで見た懐かしい光景のような気がしてくる。それがどこだかわ からない。でも、確かな光である。
<2003年12月01日>
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Where is the music?(音楽はどこ?)映画『フリーダ』の中で、フリーダ・カーロが叫ぶ場面がある。瀕死の状態で ベッドに横たわったままのフリーダは個展会場に来るのだ。フリーダの功績をとうとうと説明している夫ディエゴの言葉をさえぎって「音楽はどこ?」と言うのだ。 100の言葉より、「音楽」がすべてを語ることがある。あのアウシュビッツの中でも音楽は人々を慰め、ガス室に送った。
<2003年11月10日>
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この9月10日、101年の生涯を閉じたレニ・リーフェンシュタールの映画『ワンダー・アンダー・ウォーター(原色の海)』 と『アフリカの想い』の2本を観た。80歳を過ぎてから海底に潜り続けて撮った神秘的な海底の生き物の美しさに圧倒された。
アフリカ・ヌバ族の原始の肉体美に見 せられたレニの熱いアフリカへの想い。ナチス・ドイツに加担した映像を作ったとして社会から葬り去られたレニの「人生の肯定」に乾杯!
<2003年9月24日>
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映画『フリーダ』、酒場で老女の歌声に身体が震えた。「ラ・ジョローナ」ジョローナは葬式などで雇われる泣く女のこと。 その歌を聞くだけでよかった。歌手はチャベーラ・バルガス(84歳)。チャベーラは南米コスタリカ生まれ、14歳でメキシコに逃亡、フリーダと恋に落ちた。30歳で歌手デ ビューしたが、破天荒な生活のすえアルコール依存症で引退。90年代、70歳を過ぎて奇跡のカムバック。音楽は魂の叫びだ。
<2003年8月26日>
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マッコイ・タイナーのピアノ演奏を聴いた(ブルーノート東京。7月12日)60年代、ジョン・コルトレーンとともに時 代を作った4つのグラミー賞に輝く男は健在だった。『至上の愛』『バラード」最新作『ランド・オブ・ジャイアンツ』など、マッコイの演奏は力があった。彼の背と指 先を見ながらの演奏は、魂を揺さぶられた。演奏後、マッコイと握手をしたが、その手は厚かった。
<2003年7月15日>
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映画『アバウト・シュミット』を観た。名優ジャック・ニコルソンが定年後の男の人生の悲哀を演じていた。シュミット は孤独だったけれども、ずっと誰かを幸せにしたいと願い続けてきた。願い続けてきたからこそ、思いがけない幸せが訪れた。人間はひとりで生まれて、ひとりで死ん でいく。だが、けっしてひとりでは生きてはいくことができない。この「生の讃歌」に心が動いた。
<2003年6月9日>
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charming(チャーミング)を手元の辞書で引くと、「魅惑的な、楽しい」とある。日本語では女性に対して使う場合が多い。 だが、英語本来の意味は「愛想がいい」に近い。したがって、チャーミングは男性に対してもよく使う。
macho(マチョ)は、「筋肉マン」を想像しがちだが、英語で は「無骨な男」「亭主関白」の意味に近い。日本語化した英語を使うときは要注意。
<2003年5月19日>
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『戦場のピアニスト』を観た。土曜日だったが、その日が『ロード・オブ・ザ・リング』の公開日だったせいか、思いのほ かすいていた。入場券売り切れと思いこんでいたので、嬉しい誤算だった。映画の内容は期待はずれだった。ピアニストのシュピルマンの実体験をもとにした内容である。 第2次世界大戦で、ナチスドイツに占領されたワルシャワで奇跡的に生き延びた実話。それはよくわかった。が、もっとピアニストとしての苦悩が描かれてもよかったので はないか。不満が残った。ドイツ将校にピアノ演奏を聞かせる場面は感動的だったけれど。宣伝におどらされてはいけない。
<2003年2月26日>
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スペースシャトル「コロンビア」の事故で、向井千秋さんのコメントが一番印象に残った。「人間が作る以上、百パーセン ト完全なシステムはない。生きていれば,何もしなくてもリスクはある」(東京新聞)。こういう厳しいときこそ夢に向かって進んでいく勇気が大切なのだ。94年と98 年、スペースシャトルに搭乗した向井さんは、3たび宇宙を目指す思いは揺らいでいない。事故原因を徹底的に究明して、いままで以上の安全システムを作ることが大切 だ。積極思考こそが夢を実現させる!
<2003年2月08日>
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ブッシュ米大統領の「不支持率」が38%(『ニューズウィーク』誌)と大統領就任以来最高になっているという嬉しい報 せです。当然といえば、当然。長期化する経済の低迷や失業率の上昇が理由らしい。なにかといえば、イラク攻撃を口にするブッシュに嫌気がさしている。国連の対イラ ク国連査察の継続については「査察団が必要なだけ査察を認める」に国民の59%が支持している。アメリカ人も、目覚めてきたようだ。遅すぎるということはない。今 度は我々日本人。
<2003年1月27日>
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「オールド・ラング・ザイン」(蛍の光)を聞きたくて、『哀愁』を観た。ロバート・テイラー(ロイ)とヴィヴィアン・ リー(マイラ)の初めてのデート。演奏している楽士たちの前のキャンドルが1本1本消されていく。2人はいつまでも踊りつづける。戦争によって引き裂かれた2人は 再会。戦死したはずのロイは生きて帰ってきたが、マイラは娼婦に身をやつしていた。そのことを隠したまま婚約パーティがもよおされる。そしてあのときのメロディが 流れる・・・。
<2002年12月24日>
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スイス・トロシュナ村にある記念館「オードリー・ヘプバーン・パビリオン」が休館になった。トロシュナ村はジュネーブ の北東にあり、レマン湖をのぞむ静かで美しい村。ヘプバーンが93年に亡くなるまで、30年間を過ごしたお気に入りの村だった。ここには彼女の墓もある。ヘプバーン ・ファンの日本人観光客にも人気のあった場所だけに残念だ。しかし、記念品の数々を見るよりも、映画を観るだけでいいのではないか。スクリーンの上でこそヘプバーン は輝いている。
<2002年11月14日>
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「横尾忠則 森羅万象」(東京都美術館 10月27日まで)を鑑賞した。というより、横尾ワールドに久しぶりに会いに行 ったというほうが当たっているかもしれない。それはそれでよかったのだが、不満が残った。「週刊プレイボーイ」誌上で連載した柴田錬三郎原作の「絵草子 うろつき夜 太」のイラストレーションが見られなかったからだ。腕の立ついい男、うろつき夜太のキャラクターは70年代を風靡したのだ。横尾の時空を超えるワールドのすべてが そこにあったのに。よかったのは「愛とエロス」浅丘ルリ子のヌードイラストレーションを見られたこと。
<2002年10月21日>
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歌手の石川さゆりさんに会う機会があった。テレビで見る色っぽい彼女とはまた別に、素顔の彼女も素敵だった。どこにでも いる、ごく普通の隣りにいる40代の女性に見える。ダイエットの話題になると「水と脂ぶとりの両方なんです。着痩せするのよ。真剣に痩せたいと思っています」と言う。 でも、ちがうのは眼の輝き。「どんな歌にでもチャレンジしていきたい」と言った瞬間に眼がキラッ!ひとたび歌を歌わせれば当代髄一。この落差が、まさにスター。その 意味でも石川さゆりは希有な存在だ。
<2002年9月2日>
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「追憶マリリン・モンロー」(集英社文庫)著者サイン入りプレゼントに、非常にたくさんの方から応募をいただきました。 ありがとうございました。厳正に3名の方を選ばせていただきました。そのうち広島の薮根さんからは「モンローは好きで、せひ読んでみたいと思っていました」というコ メントをいただきました。さっそくお送りさせていただきます。楽しみに待っていてくださいね。これを機会に一人で多くの方にモンローの魅力に触れていただければ幸い です。
<2002年8月9日>
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台湾出身の人気歌手テレサ・テンさんの故居を上海に移して、記念館を造る計画があることを知った。とっても嬉しい。テレ サにとって、上海は憧れの地だったが、中国と台湾の関係にほんろうされて、生前は一度も行けなかった。テレサは香港にいる友人たちから上海語を教わり、上海料理も好 きだった。「何日君再来」「夜来香」などを好んで歌った。香港の家はスタンレーの住宅街にあり、アクセスに問題があった。この上海移築計画、ぜひ実現してほしい。
<2002年7月4日>
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友人のアメリカ人家族と新宿のアイリッシュ・パブでアメリカ対韓国をテレビ観戦した。彼らは前日、仙台でメキシコを応援して 戻ってきたばかり。奥さんはメキシコ系アメリカ人なので、気をよくしてのアメリカ応援だった。地下で狭くて、紫煙の立ち上るパブでのサッカー観戦。正直私はお付き合いで しかない。どちらも応援していない。ただ試合会場のテグには建設直後に取材に行っているので、そのときのことを友人に説明しようとしたが、私の声は「アメリカ引き分け」 でかきけされた。そのときもテグは暑かった。
<2002年6月11日>
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マリリン・モンローは言う。「もっともつまらない男は、自分の男らしさを自慢し、セックスを優勝カップをねらうスポーツみ たいに思っている男ね」だが、待てよと私は思う。そういった男にさえなれない男がふえているのではないか。マリリンにつまらない男と言われるなら上等ではないか。優勝カ ップをねらいたい。サッカーも同じ。まず、勝たなくてわ。)
<2002年5月26日>
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「ルイス・バラガン展」を東京都現代美術館で観た。「美を欠いた生活は人間的と呼ぶに値しない」「静寂さを表現しない建築 家はどれも間違いである」(バラガン)。メキシコの生んだ偉大な建築家は、これから私たちがいかに人間的に生きるかを教えている気がする。経済大国の復活を願うのでな くて、より人間的に生きるには、いかに空間が大切かをあらためて教えられた。また、バラガンと画家フリーダ・カーロが互いに尊敬しあっていたことも嬉しい発見だった。 )
<2002年5月9日>
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ニューヨーク・マンハッタンが破壊されてしまった。
ニューヨークはマリリンが大好きな街でもあった。
なにより、自分らしさを取り戻せる街だったからだ。
おっかけ少年のジム・ハスピールとダウンタウンまでタクシーを走らせて、 鳩を捕まえて売っている少年たちとも会っている。
アクターズ・スタジオに通いながら、妹のようなスーザン・ストラスバーグと「スッピン」で マンハッタンを歩いた。
ケネディとホテルで逢い引きをしたこともある。
そして彼のためにバースデイ・ソングを歌ったマディソン・スクエア・ガーデン。 ニューヨークのマリリンは生き生きとしていた。
今日は「7年目の浮気」を観ることにしよう。。
<9月14日>
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100万体の「マリリン・マンダラ」を描き続けてきたスズキシン一画伯がこの8月12日に亡くなった。69歳だった。 スズキ画伯は「追憶マリリン・モンロー」(集英社文庫)のために、特別にメッセージを寄せてくださっていた。
「生あるかぎりマリリンと同化しながら描き続けたい(病いと闘いながら)」
まさに、壮絶な病いの中で、最後までスズキ画伯は描き続けた。
この画伯のメッセージは文字どおりラスト・メッセージになった。
画伯が亡くなったのはマリリン・モンローの命日8月5日から1週間後のことだった。
マリリン・マンダラはこの世では未完に終わったが、いまもどこかで描き続けているに違いない。
マリリンと楽しいおしゃべりをしながら、筆を走らせているのだろうか。
<8月20日>
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今年は、マリリン・モンローの生誕75年、没後39年目に当たります。
8月5日はマリリン・モンローの命日。この日、私はハイビスカスを買いました。
マリリンの好きな花はバラで、夫のジョー・ディマジオが彼女の墓にバラの花を ささげつづけたのはよく知られています。
だが、私は夏に深紅の花を咲かせるハイビスカスにマリリンの姿を重ね合わせるのです。 早朝にみごとな花を咲かせ、夕方にはしぼんでしまいます。とってもはかない生命です。 だが、翌朝にまた、太陽に向かって花を咲かせる。その美しさ、生命力。
まるで永遠のマリリンのようにーーー。
<8月6日>