34.伝説の大スター、グロリア・スワンソン
大女優グロリア・スワンソンが主演した『サンセット大通り』(ビリー・ワイルダー監督)は、ハリウッドを描いた傑作である。この映画の中にハリウッドの栄光と悲劇、人生のすべてが詰まっている。
スワンソン演じるノーマ・デズモンドは、忘れられた無声映画の大スター。その邸宅のプールに男の死体が浮かんだ(サンセット大通り1086番地)。男はノーマに囲われていたB級映画の脚本家。
荒れ果てた邸宅に一緒に住んでいるのは執事のマックス(エリッヒ・フォン・シュトロハイム)。彼もかつては名の知られた映画監督(ノーマの夫でもあった)。
半年前、売れない脚本家、ギリス(ウィリアム・ホールデン)が、邸内に迷い込んできた。彼は『サロメ』で映画界復帰を願うノーマの脚本を手伝うことになる。
「このフロアでヴァレンティノが踊ったのよ」
大スターは、ギリスを邸内に住まわせ、若い肉体を貪る。
ギリスは、女性脚本閲覧係に惹かれている。嫉妬に狂ったノーマは自殺を図る。
だが、ギリスは毎晩のように邸宅を抜け出し恋人のもとに。そして悲劇的な結末が待っていた。
この名作には、セシル・B・デミル監督を始め著名映画人が本人として特別出演している(コメディアンのバスター・キートンたち)。
「私は、いまでも大物よ。小さくなったのは映画のほう」
これはヒロイン、ノーマが吐く有名な台詞。
映画撮影時、スワンソンは51歳。彼女自身も忘れられた存在で、ヒロインのノーマと重なる。
スワンソンは、100年前の1899年(97年、98年説もある)に、シカゴで生まれた。
ドタバタ喜劇のマックス・セネットの水着美人のひとりとして出演しているところを、デミル監督に見いだされた。第一次世界大戦後の世相を反映した社交界にふさわしい女優を求めていたデミルは、スワンソンの華麗なイメージに注目した。
『男性と女性』などメロドラマのヒロインをつとめたスワンソンが大スターとして認められたのは、『大陸に鳴る女』『舞姫ザザ』『蜜蜂』などだ。 1926年には、週給2万jで、ハリウッド一の高給取りになった。グロリア・プロダクションを起したが、仕掛け人はジョー・ケネディ。米大統領ジョン・F・ケネディの父親である。
ケネディは、ハーヴァード大を卒業して銀行家として活躍し、ハリウッド制覇の野望を抱いていた。スワンソンは、当時アンリ・ラ・ファレーズ侯爵と結婚していたが、ケネディとも恋愛関係にあった。28年には『クィーン・ケリー』の撮影に入ったが、監督は怪物と異名のシュトロハイム。かたや、女王のスワンソン、衝突して制作中止。トーキーの時代になり、『トレスパッサー』は成功したが、女優はしだいに忘れ去られた。
だが、テレビの『グロリア・スワンソン・アワー』で、彼女は健在ぶりをアピールする。それを知ったワイルダー監督が『サンセット大通り』の主役に抜擢して、大成功。
50年度のアカデミー賞、脚本賞、美術・装置賞、劇映画音楽賞を受賞した(鬼気迫る名演技でスワンソンは主演女優賞にノミネートされた)。
私生活でも話題をまいた。6度目の結婚はスワンソン82歳。相手は17歳年下の作家。
「グロリアといると疲れてしまう。どうしてあなたは、そんなに元気なの?」と女優グレタ・ガルボを呆れさせた。
79年、スワンソンは日本を旅行した。あるお寺で、小さな石像を見つけた。
「この命は生まれる前に終わってしまったのです」その説明にスワンソンは涙を流し、手を合わせた。最初の夫に堕胎薬を飲まされて流産した悲惨な経験があるからだ。強靭な精神力をもつ、"ハリウッド・スター"グロリア・スワンソンは、83年、84歳の波瀾万丈の生涯を閉じた。
スワンソン演じるノーマ・デズモンドは、忘れられた無声映画の大スター。その邸宅のプールに男の死体が浮かんだ(サンセット大通り1086番地)。男はノーマに囲われていたB級映画の脚本家。
荒れ果てた邸宅に一緒に住んでいるのは執事のマックス(エリッヒ・フォン・シュトロハイム)。彼もかつては名の知られた映画監督(ノーマの夫でもあった)。
半年前、売れない脚本家、ギリス(ウィリアム・ホールデン)が、邸内に迷い込んできた。彼は『サロメ』で映画界復帰を願うノーマの脚本を手伝うことになる。
「このフロアでヴァレンティノが踊ったのよ」
大スターは、ギリスを邸内に住まわせ、若い肉体を貪る。
ギリスは、女性脚本閲覧係に惹かれている。嫉妬に狂ったノーマは自殺を図る。
だが、ギリスは毎晩のように邸宅を抜け出し恋人のもとに。そして悲劇的な結末が待っていた。
この名作には、セシル・B・デミル監督を始め著名映画人が本人として特別出演している(コメディアンのバスター・キートンたち)。
「私は、いまでも大物よ。小さくなったのは映画のほう」
これはヒロイン、ノーマが吐く有名な台詞。
映画撮影時、スワンソンは51歳。彼女自身も忘れられた存在で、ヒロインのノーマと重なる。
スワンソンは、100年前の1899年(97年、98年説もある)に、シカゴで生まれた。
ドタバタ喜劇のマックス・セネットの水着美人のひとりとして出演しているところを、デミル監督に見いだされた。第一次世界大戦後の世相を反映した社交界にふさわしい女優を求めていたデミルは、スワンソンの華麗なイメージに注目した。
『男性と女性』などメロドラマのヒロインをつとめたスワンソンが大スターとして認められたのは、『大陸に鳴る女』『舞姫ザザ』『蜜蜂』などだ。 1926年には、週給2万jで、ハリウッド一の高給取りになった。グロリア・プロダクションを起したが、仕掛け人はジョー・ケネディ。米大統領ジョン・F・ケネディの父親である。
ケネディは、ハーヴァード大を卒業して銀行家として活躍し、ハリウッド制覇の野望を抱いていた。スワンソンは、当時アンリ・ラ・ファレーズ侯爵と結婚していたが、ケネディとも恋愛関係にあった。28年には『クィーン・ケリー』の撮影に入ったが、監督は怪物と異名のシュトロハイム。かたや、女王のスワンソン、衝突して制作中止。トーキーの時代になり、『トレスパッサー』は成功したが、女優はしだいに忘れ去られた。
だが、テレビの『グロリア・スワンソン・アワー』で、彼女は健在ぶりをアピールする。それを知ったワイルダー監督が『サンセット大通り』の主役に抜擢して、大成功。
50年度のアカデミー賞、脚本賞、美術・装置賞、劇映画音楽賞を受賞した(鬼気迫る名演技でスワンソンは主演女優賞にノミネートされた)。
私生活でも話題をまいた。6度目の結婚はスワンソン82歳。相手は17歳年下の作家。
「グロリアといると疲れてしまう。どうしてあなたは、そんなに元気なの?」と女優グレタ・ガルボを呆れさせた。
79年、スワンソンは日本を旅行した。あるお寺で、小さな石像を見つけた。
「この命は生まれる前に終わってしまったのです」その説明にスワンソンは涙を流し、手を合わせた。最初の夫に堕胎薬を飲まされて流産した悲惨な経験があるからだ。強靭な精神力をもつ、"ハリウッド・スター"グロリア・スワンソンは、83年、84歳の波瀾万丈の生涯を閉じた。
















