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聖林百話
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26.愛人殺しの罪を娘にかぶせた女優
ハリウッドといえばスキャンダルの歴史でもある。
女は泣きわめきながら言った。
「あたしの前からとっとと消えて!」
男は凄んだ。
「おまえの顔をめちゃくちゃにしてやる」
激しい口論が殺人事件に。
1954年4月4日聖金曜日。
「女優、ラナ・ターナーの愛人、殺害される!」
加害者は14歳になるラナの娘シェリル。母の身の危険を感じた娘はナイフで愛人のジョニーを刺殺。
4月11日。陪審員たちは正当防衛、無罪放免の表決を下した。
だが、真相は違う。「殺したのはラナ本人で、未成年のシェリルが母親の身代わりになったのだ」という噂がまことしやかに流れた。
シェリルは、6ヶ月後に少年院を出て祖母と暮らした。ラナはその後も大スターの座を守り続ける。
ラナ・ターナーは1920年生まれ、10代で、ハリウッドの世界に入り、「スウェーター・ガール」(薄手のスウェーターでバストラインを強調)の名で、第2次世界大戦中、GIの間でピンナップ・ガールとして人気を集めた。
ラナの私生活は乱脈をきわめていた。 連日連夜、いろんな男たちとパーティーを開いていた。ある日、しびれを切らしたラナの母が部屋に飛び込んできた。
「あなたたち、聞いてなかったの?パールハーバーが攻撃されたのよ」
「あら」とラナは答えた。
多彩な男たちの間には、歌手フランク・シナトラ、大富豪ハワード・ヒューズらも絡んでいる。
4番目の夫バーカーと別れて出会ったのが問題の男、ジョニー・ストンパナト。ジョニーはギャングのボス、ミッキー・コーエンの凄腕のボディーガードだった。シルクシャツの前をはだけて胸毛を見せ、男性自信が勃起時に、「オスカー像」(35センチ)ほどになることからニックネームは「オスカー」。
現代で言えばジョニーはストーカーで、ラナのあとを着けまわした。そのうえラナとの性交中の会話を録音して売りさばく悪党。
ジョニーはショーン・コネリーと撮影中のラナのもとに、飛行機代を工面してロンドンに飛んだ。ここでもラナの顔を傷つけると脅し、英国警察から国外追放処分。
事件はその直後に起きた。
舞台はベヴァリーヒルズ。2番目の夫との間の娘、シェリルは言い争う声を聞き、母のことが心配だった。キッチンに駆け込み、肉切り包丁を掴むと母の様子を覗いた。シェリルの姿を見て、ラナは「大丈夫、何でもないから部屋に戻りなさい」と言ったが、再び大きな悲鳴が聞こえた。
「やめて」
ドアを開けると、ジョニーが母に襲いかかろうとしている。シェリルは向かって行き、腹部を殴ったように見えた。彼は床に倒れた。腹部にはナイフが刺さっていた。医者が呼ばれたが手遅れだった。
ラナ側は正当防衛を主張。ジョニーの弟は保護者の過失として80万ドルを請求した(示談で2万ドル)。女優の生命が危ぶまれたが、ラナは奇蹟的な復活を遂げた。
ロンドンで制作したコネリーとの共演作「アナザー・タイム、アナザー・プレイス」(「いつかどこかで」日本未公開)が公開されると、観客は総立ちとなり、声援を送った。
「夫は1人、子どもは7人があたしの理想なの」
現実には、1人の子どもと7人の夫だ。
「セックスなんて重要じゃないの、ロマンスがなくちゃ」というのが彼女の口癖だったが、実際にはロマンスよりもセックス。
相手かまわず、スターからガソリンスタンドの従業員まで。
「彼女は女優じゃない、ただの売春婦よ」と女優のグロリア・スワンソンは吐き捨てるように言った。
今もラナの人気は衰えない。ニューヨーク近代美術館のアート・ショップには、ガルボやディートリヒと並んでラナ・ターナーのポートレートが売られている。ブルーの瞳に肉厚の唇がそそられる。
ラナは、75歳まで生きた。
サンケイスポーツ 99.6.7
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