アイデアを事業化した企業家・小林一三

「清く正しく美しく」は宝塚歌劇団の標語であり、東京宝塚劇場(東宝)の発足時の経営方針だ。この標語を作ったのは“大阪急”を築いた企業家・小林一三(一八七三−一九五七)である。 小林はきわめて独創力に富んだ事業家であった。阪急電鉄を起こし、その起点である梅田駅に阪急百貨店を建設した(昭和三年、一九二八年。ターミナルデパートのはしり)。 その阪急百貨店・最上階の大食堂で、当時高級イメージの強かったカレーライスを安く提供し、一般庶民に普及させた。また、全国高校野球大会まで企画したアイデアマン。 その小林は自分が企業家になることなど夢にも思っていなかった。さて、小林が夢見たものとは何だったのか? 小説家。小林は明治六年(一八七三年)一月三日に生まれたので、一三(いちぞう)と名づけられた。山梨県生まれ。 利発な少年は慶応義塾では福沢諭吉の謦咳にも接した。小説家志望の一三は新聞記者を経て、小説家になるという道筋を思い描いていた。懸賞小説にも応募し、作家・田山花袋と揃って入選した。 だが、内定していた新聞社への就職が断たれ、先輩の紹介で三井銀行に就職する。「私の二十代は銀行員として安月給取りの、あられもない贅沢生活に多年を浪費したが、この小説的言動を、私の五人のこども、九人の孫と、それから何万人という私の同勤の人達に対して、虚言なしに書けるであろうか」 (「小林一三・逸翁自叙伝」。日本図書センター)。落第サラリーマンの小林は独立。大阪から宝塚間の箕面有馬電気軌道(阪急電車)の経営で手腕を発揮する。当時の宝塚は田舎で、鉄道は「ガラ空きで涼しい電車」だった。鉄道に客を集めるために考案したのが、沿線の温泉での「女性たちだけの合唱団」(宝塚歌劇)だ。 歌劇を見ようと人々が集まり路線も拡張された。 ちなみにテニスプレーヤーの松岡修造は小林の孫である。

フジサンケイ ビジネス・アイ 2005/01/17